神様からの問いかけ
こんばんは!
深夜に唐突にブログに書きたい内容が来ました。
それは問いかけです。
私に関していえば恋愛についてなんですが、これは人でも物でも当てはまります。
今欲しいものありますか?
もしくは、絶賛片思い中という方!
それが手に入ったら、またはその人とお付き合いできたら、幸せですか?
この問いに、幸せじゃないという回答は多分ないと思います。
では、次の質問です。
5年後、10年後、それを大切に出来ていますか?
物であれば、経年劣化が現れてくる頃ですよね。
人であれば、今は知らなかった部分がたくさん見えていたり、今は許せてもだんだん許せなくなることも出てくる頃です。
私自身、今見えている未来には意中の人が必ずいます。
幸せだなって思っています。
ただ、いきなり『こんな時に許せるか?』みたいなシーン?が出てきました。
そしてちょっと迷いが生じたのも事実です。
(とはいえきっと私は乗り越えていくのでしょう)
所有欲、片思い。
それがあったら。
人間のごく一般的な欲求です。
ただ、それがあることでより豊かでより感謝すべき日常が来ることを知らなければ、きっと宝の持ち腐れなのでしょう。
久しぶりに立ち止まってみる良い機会だったのと、是非ブログを見て下さった皆様にも立ち止まってみることをお伝えしたいと思い、記事にしました。
天之御中主様
お助けいただきましてありがとうございます。
次回もお楽しみに♪♪
運命は変えられない、という思い込み
お久しぶりです。
1ヶ月近く空いてしまいました。
今日は、つい昨日の夜に教えていただいたことを記事にします。
運命は変えられるとか、運命は決まっている、ということを聞くことがあると思います。
アドラー心理学では、『運命の人』というものを否定しています。
それらについての説明にもなる教えでした。
今がもの凄いどん底で、もはや這い上がることすら出来ないんじゃないか、という状況の人もいらっしゃると思います。
私自身、そんな状態を経験し、自ら人生の幕を下ろそうとしたこともあります。
しかし、そう覚悟した次の瞬間に、死ねない状況が作り出され、結果私は生きています。
当時、運命を恨んだりしました。
ここで覚えておいてほしい言葉が二つあります。
一つは【運命】、もう一つが【宿命】という言葉です。
運命というのは、命が運ぶと書きます。
つまり、生きている限り、覚悟がある限り変えられるものです。
どん底から最上の幸せにも行けるし、もっと下にも行けるし、生涯現状維持もできるということです。
宿命とは、命に宿ると書きます。
つまり、どう足掻こうとどんなに努力しようと【そうなることは避けられない】んです。
絶対にそうなることを決めて生まれてきたんです。
運命は変えられない、どんなに努力しても現状が変わらない、ということが意味することはなんですか?というと・・・
宿命を変えようとしているんです。
借金だろうが病気だろうが、そうなると決めてきたことを変えようとしても変わらないのは当たり前です。
それによって何かを学ぶために生まれてきたんです。
1+1=2
誰もが知る計算式です。
運命が変わらないと嘆くのは
1+1=5
1+1=8
1+1=10
にしようとするからです。
なるわけがないんです。
5にするなら、2と3にする。
10にするなら、4と6にするか5と5にする。
それが運命は変えられるということです。
1+1のままで変わるのが運命は変えられるではないんです。
それは奇跡ではないんです。
その宿命の中で学ぶべきことが学べたらその宿命は無くなります。
必要ないですからね。
これは、小学6年生の算数で掛け算を一からやり直すことがないのと一緒です。
宿命を受け入れて、自分を上に連れて行くかそのままか下に連れて行くか。
それが【運命】です。
ちなみに、運命の人の理論。
その人を運命の人と決めて、二人の幸せに向かうか、違う人がいると思い探し続けるか。
それも自分で決められるということです。
誰もが運命の人になり得ますし、誰もが運命の人から外されることもあり得るということです。
運命は変えられます。
宿命を変えようとせず、運命を変えましょう。
天之御中主様
お助けいただきましてありがとうございます。
いつになるかわからないですがまた次回もお楽しみに♪♪
ありきたりな日常
こんばんは。
先日の【命の話】多くの方々に見ていただけたようで心より感謝しています。
何も変わらない、ありきたりな日常。
これこそ、本当に感謝すべき【今】の積み重ねなのだと思います。
今に感謝せず、当たり前だと思っていて、もっとこうなりたい、ああなりたい・・・
恐らく多くの人がそう思っているでしょう。
私もそうでした。
しかし、この数年で改めて私は見方がガラッと変わりました。
コロナ禍による変化です。
今まで出来ていたことが、多くの制約の元、当たり前ではなくなり、制約があるからこそ出来なくなったことも増えました。
そんな中、ここ数日の悲しみのニュース。
改めて、ありきたりな、普通の日常というものがどれほど尊いものかを感じました。
あなたがあなたでいられる今世、かけがえのない人達と過ごす今この瞬間。
何度もブログに書きましたが、それらはちょっとしたことで当たり前ではなくなります。
今年3月の東北地方の地震以来、全国各地で小さな地震も多発しています。
ご飯が食べられる、お風呂に入れる、家がある、大切な家族、友人、恋人がいて、その人達と過ごす時間がある。
そんな【なくなるはずのない】と思う時間を改めて大切にして、感謝してみてください。
きっと、ありきたりな日常から、とても尊い大切な日常、に変わっていくと思います。
今日を無事に生きている皆様、ありがとうございます。
命の話
こんにちは。
ちょっとバタバタしている最中ですが、悲しいニュースが次々に飛び込んで来て、私自身も胸が張り裂けそうな気持ちです。
私自身、自殺をしかけたこともありますし、一応親でもあります。
『あの時に死ななくて良かった』とよく口にします。
子どもとは会っていませんが、元気にしていることだけはよく知っています。
今日は【命】の話しです。
ここにきて、【命は大切なんだよ】なんてことだけをいうつもりはありません。
何故命が大切か、を考えてほしいです。
今日、今、この瞬間、を生きたくても生きられなかった人はたくさんいます。
事故、病気、何かに巻き込まれた、という誰も想像できないことって、急に起こります。
もしかしたら、その人の大切な人のお祝いの日が今日だったかもしれない。
来月、何かお祝いをする日だったかもしれない。
プロポーズする日だったかもしれない。
でも、その人に【その日】はもう来ないのです。
空から、誰にも聞こえない声で祝っているかもしれません。
あなたが【A】という人間で、今あなたの周りにいる人たちと過ごせるのは、今世だけなんです。
【B】と【C】という両親、【D】や【E】という兄弟姉妹と同じ家族なのは今世だけなんです。
もしかしたら、転生した時【D】や【E】さんの子どもとして生まれてくるかもしれない。
けれどそれは【F】という全く別の人間なんです。
あなたが【A】という人間でいる今を、この瞬間を、今世を大切にすることが本当の意味で【自分の人生を生きる】ということ。
命は戻せないし戻りません。
つまり、あなたが【A】という人間をやめた時、【A】という人間はもういないんです。
誰かの心の中の【記憶】【想い出】の存在なんです。
命が何故大切か。
それは、その命を燃やせるのはあなたしかいないからです。
他人の命を燃やすことは誰にも出来ません。
誰かが生きたくても生きられなかった今、今日をあなたが生きていられるのは充分大きな奇跡です。
だから、もっともっと自分を大切にしてください。
もっともっと周りの人を大切にしてください。
もっともっと命を大切にしてください。
命だけは、なくなってからじゃ遅いんです。
皆様の【今】が笑顔と幸せに溢れますように。
言葉シリーズ
こんにちは!
最近は合間にブログを上げたりするので夕方〜夜が多いですね。
読んで下さる皆さま、ありがとうございます。
今日は久しぶり言葉シリーズです。
今日は【不安】という言葉です。
感情の一つでもある不安。
経験したことのない人は誰一人いないと思います。
『安』という言葉には、危険がない、困難がない、落ち着ける、安らか、という意味があります。
そして『不』、これは打ち消しや否定という意味があります。
つまり、不安というのは[困難、危険、落ち着けない]という意味になります。
感情から見てもその通りですね。
不安で落ち着かない、乗り越えられるか不安(困難や危険を感じる)という形で使われます。
私も未だに不安しかありません。
そもそも感情というのは、正負問わず自分のために働いてくれるものです。
誰しも【こうなりたい】【こうなったらいいな】と思うことはあると思います。
いわゆる、宇宙へのオーダー、目的という言葉で私がブログに書いているようなことです。
それが叶ったとしたら、それでも不安ですか?
例えば、1000万の借金があって宝くじで1000万当選して借金完済、というオーダーをします。
もし1000万当たって借金がなくなったら、それでもまだ【不安】でしょうか?
それまでの生活より豊かになりますし、気持ちに余裕は出来るはずです。
(別の悩みが出てくるとかは一旦置いておきます)
不安は最小限にして、叶った時を想像する。
これが願望達成の近道なのかもしれません。
それが一番難しい工程なのですが・・・
といいつつ、私もまだまだ不安に振り回されていますが笑
天之御中主様
お助けいただきましてありがとうございます。
お助けいただきましてありがとうございます。
次回もお楽しみに♪♪
『ない』から【ある】へ
こんにちは!
昨日ブログを上げなかった分、下書きをしていました。
誰にでも『ない』という状態を経験したことはあると思います。
例えば、お金や時間、友達、趣味など何かしら『ない』の時期を経験したことはあると思います。
最初から全部が【ある】の状態とはいきません。
アドラー心理学では[勇気]という言葉が多く出ます。
勇気とは、困難を克服する活力、という意味で使われます。
これは、アドラーを深く知らなくても、嫌われる勇気に書いてあることですし、アドラー関連の本などにも書いてあります。
多くの事件は、勇気が挫かれた状態(勇気がない状態)によって起こされます。
ちなみに自殺も、勇気が挫かれた状態で行動する気力がある状態が多いです。
では、皆さまは『ない』の状態から【ある】状態へ変化したことはありますか?
恐らくこの経験もあると思います。
では、勇気は『ない』から【ある】へ行けるのか。
行けます。
勇気づけという方法があります。
私自身、まだまだ勇気が挫かれた状態です。
とある一時よりはマシになったと思っています。
勇気がないなら、自分で自分に勇気を与えていけばいい。
何かを失くしたら、それ以上のものをまた探し【ある】へと進めばいいのです。
この間、一日中資料作りをしていて思い出しました。
なので、ブログにあげようと思い書きました。
天之御中主様
お助けいただきましてありがとうございます。
お助けいただきましてありがとうございます。
最近短いブログばかりですね笑
次回もお楽しみに♪♪
本当は隠れているのではなく隠そうとしている?
こんばんは!
今日、言霊を言っていたあとにふと思ったことがあります。
例えば別れた恋人や友人など、言葉で悪くいうことがあります。
もちろん、恨んでいないと言っていても、です。
これって、嫌いになるという目的のためにわざわざ嫌な思い出を浮かべてしまうのではないでしょうか。
よく言われることですが、死にたいというのは生きたいというメッセージです。
それと同じく、相手との嫌な思い出を浮かべるのは、相手を嫌いたいからではないかと。
本当は、そこまで嫌いじゃないけど嫌わないと忘れられないとか、前に進めない(ような気がしている)とか、様々あると思います。
人間って、そこまで強くないので忘れなきゃって思うのかもしれません。
私もそうでした。
ただ、実は別にそこまで嫌いじゃないということにもようやく気が付きました。
不思議なものですね笑
ちなみに今日、言霊を唱えていたら体が熱くなりました。
好転反応なのか何かわからない(調べても情報なく)でしたが。
神社お参り後に体が熱くなるのは歓迎サインとか好転反応と言われているのできっと好転反応でしょう。
ちょっと不思議な体験談でした。
天之御中主様
お助けいただきましてありがとうございます。
お助けいただきましてありがとうございます。
次回もお楽しみに♪♪