恋愛と課題の分離
こんにちは!
久々にアドラー心理学関連ブログのお時間が来ました!
ひらめきをくださるお陰様です。
ありがとうございます。
実は最近、少し違和感を感じていました。
違和感?モヤモヤ感?いや、それを違和感と呼ぶ笑
それは、友人と恋バナをしていた時のこと。
友人はアドラーを多少知っています。
その友人から
『相手が幸せを感じるかどうかは相手の課題。自分が幸せにするって意気込んでも仕方ないんじゃない?』
と、言われました。
これもお告げの一部かな?と思いつつ、実はしばらくモヤモヤしていました。
それは
『では愛のタスクとは?二人で取り組むのが愛のタスクでは?』
ということです。
ふと、眠れない夜があり、考えてみたらものの5分でわかりました。
まず、課題の分離。
これは『その問題を放置した時に最終的に困るのは誰か』を考え、『最終的に困る人』の課題ということを説いた理論です。
例えば、子どもが勉強しない。
この場合、最終的に困るのは『子ども』であって『親』ではありません。
では、課題の分離において、周りの人はどうすればいいか。
本人が『自分の課題なんだ』と気付き、その課題に取り組むと決めた時に最大限に支援すること、しか出来ません。
では、私が感じた違和感は何か。
確かに、幸せは人それぞれです。
本人にしかわからないですし、自分が幸せにすると必死になりすぎても仕方ないのでは?と思うのもわかります。
というか、私自身がその違和感を素通りしていました。
まだまだですね。
課題の分離は、すべてが個人の課題とするわけではありません。
『共通の課題』というものがあります。
仕事、恋愛や夫婦関係、子育て等が当てはまるでしょうか。
共通の課題の場合、私はここまで出来るからあなたはその先をお願いします。という形で『共に一つの課題』に取り組みます。
なんとなく感じていた違和感の正体はこれでした。
決して『正解』のない『二人の愛』『二人の幸せ』。
それを作り上げていくことが『愛のタスク』。
そのためにまず『個人の幸せ』をお互いに尊重し、その上で『二人の幸せ』を作り上げていく。
つまり、恋愛については『共通の課題』なのです。
恋愛も仕事と同じく、個人プレイではどうにもなりません。
じゃあ、自分の幸せを追い続けていけばいいのか?
それでは『二人の幸せ』『二人の愛』は無理です。
記念日にご飯食べに行く、プレゼントを贈る、お互いに予定のない休みだけ一緒にいる。
本当にそれだけなのか?と感じていました。
自分がこの人を幸せにするという覚悟なしで、そこに行き着けるのか?
ただ、笑っているだけで安心する、そこにいるだけでいい。
もちろん、存在レベルの貢献感、感謝は大切です。
が、その上で『自分がこの人を幸せにしている』というお互いの信頼、尊敬がなければその先『二人の幸せ』『二人の愛』は築けません。
ふと、ひらめき、これらと同じように『違和感』って大事ですね。
また一つ、学ばせて頂きました。
天之御中主様
お助けいただきましてありがとうございます。
天照大神様
お助けいただきましてありがとうございます。
毎日の小さな幸せに感謝しています。
次回もお楽しみに!!